ひびにいる人たちを観察する

#27 moe haemori

6:00/自宅

昨日も慌ただしく1日が過ぎていった。
この頃8:06の電車に乗ってVACANTに向かっていたけど8:21の急行に乗ったとしても結構余裕持って着けるから8:21の方がいいに決まっている。土曜日だったから急行でも結構空いていて嬉しかった。稽古をして、昼公演。藤田さんはお仕事で見れないと聞いていたのに終演後に「藤田さんが真ん中に座って見ていたらしいよ」とちょっとした騒ぎになった。結局目撃者はひび26人中の1人しかいなかったことが判明する。ここ数日間の集中的な稽古でまぶたの裏に張り付いた残像だったんだと思う。休憩時間にタピオカはホットであろうとストローが刺さっていることを教えてもらった。火傷するギリギリの温度で入っているらしい。夜公演は出番までに時間があるからドリンクを渡す係をした。スパークリングワインの蓋はすでに外れているのに、指摘されるまでずっと蓋を開けようとひねり続けていた。誰かが赤いベルベットの巾着を下げていた、中身はたぶん香水だと思う。今日はみんな早く帰路に着く。電車ですみませんと言われたけど何をされたのか、何かしたのかわからなかった。スーパーで目的の塩を探したけど置いていなかった。
なんだか眠れなくて、そしたらこの時間になっていた。今から寝ても、あんまり意味がないかもしれない

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私の左の腕には傷がある。肘の部分に、生々しい物じゃなくて、蚊に刺されたみたいな小さい丸い傷跡。小学校5年生の時のリレーの練習中に転んでしまった。思っていたより血がいっぱい出て、電気のついていない教室で1人、傷口を洗った。6年生になった時のある日、急に、私の前の席に彼はこちらを向いて座ってきた。「その傷、俺がつけたんだよね」と彼は言った。あのリレーの練習で私は自分で勝手に転んだと思っていたのだけど、私にバトンを渡した彼が、足をかけてしまって、転んだらしい。彼が1年間黙っていたということ。私に話したこと。ずっと覚えていると思う。

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傷はもう一生残るものだから、私は本当にこの記憶をずっと忘れないと思う。左腕に記録として残ってしまった。傷を通して、私は人に思いを馳せる。はじめは彼と私の記憶しか持たなかった傷がこうやって文字として記録することで、例えばこの文章をひびのみんなは読むわけだから、もう25人のことだって、傷に記録される。私は傷を見る度に、この傷のことを知ったであろう25人に思いを馳せる。そうやって何十、何百の人を記録できる。私にとっての「残る」ということはそうやって広がっていったとても遠いところの遠い人にも思いを馳せること。

9:00/
今日もVACANTに向かう。今日で3年目のひびの公演も終わって、このメンバーが「ひび」であることも終わる。このメンバーが「ひび」であったということはここに残されている。4年目のひびに、思いを馳せる。