ひびにいる人たちを観察する

#25 mariko miyata

20:00/浅草駅松屋の入り口で待ち合わせ。

待ち合わせの時間よりかなり早くにに着いてしまったので、駅近くのマクドナルドでまりすを待つ。実はまりすは今までのインタビューにいくつか同行してくれていて、いくつか自分の話もしてくれていた。まりすは、なんというか、ちゃんと、話す。適当に喋らない。話をするときに本当に話をきちんとする、そういうエネルギーを感じる。
まりすから連絡がきたので松屋前に向かう。交差点の向こう側からまりすが駆け寄ってきて、話す。

・・・・・・

お腹すいたね。なんかね、お蕎麦屋さんか、フグ料理屋さん?なんだけど普通に定食が美味しいお店があって、、、なんだけど、お蕎麦屋さんがね、21時で閉まっちゃうの。だからそのお店にしようかな。ちょっと歩くんだけど、いい?
せっかくだから浅草寺通る?夜すごいきれいだよ。人いないし。浅草来たことない?じゃあ、めっちゃ観光の道通る?

この通り、シャッター閉まっている方が好きなんだよね。深夜になるとここ、本当に誰もいなくなるから。

わたしいつもここ通らないでね、その、広いところから帰るんだけど、でもね、あっちから見るのもなんかいい。ここすごい空も開けてるから好きなんだよね。ここは、実家に住んでたときの駅からの帰り道。

あの通りを超えると完全に住宅地って感じ。最近ね、家の建て代わりがすごい多くて。古い家がどんどん無くなって、あとゲストハウスがすごい増えた。とにかく気づくといろんなところがゲストハウスになってる。ここも今ゲストハウスじゃん、でも1年くらい前までは、昔からのご近所さんが住んでたの。久しぶりに来たら急に何もない平地になってて。だからさ、この家のこっち側の壁を見たことなかったんだけど、その時に初めて、あ、壁こういうのだったんだって思った。耳が遠くて、目も悪いおばさんが住んでて、いつも、挨拶しようと思うんだど向こうは目が悪過ぎてわかんないんだよね。だからなんとなく、挨拶をしなくなっていって。家族が一緒に住んでいたから、引っ越したのかな。
だんだんね、こっちの、奥浅草っていうのかな、こっちまで観光客が来るようになって、急にお洒落なカフェが出来始めたりとか。何年か前からね。浅草もドンキ出来たの!なんかね、わたしすごい好きだったんだけど、古い映画館が3つ連続で並んでいる場所があって、1つはピンク映画をやってるところで、その隣がもう1年中寅さんを3本立てでやってますみたいな、ずっと寅さんの看板出てる、みたいな映画館。その隣に割と最近の洋画が2本立てでやってる映画館があって、3つ並んでて。で、多分その近くにもう1つくらい最近の映画をやってる古い映画館があったんだよね。でも全部なくなったの。全部なくなって、その近くにドンキが建った。ショックだったな。ドンキってパワーあるよね。結構怖いよね、ドンキって。浅草のドンキ、すごい大きい水槽があるの。あれは一体何なんだろうね。すごい青い水槽で、いろんな魚が泳いでる、、、。

あ、良かった!開いてた。敷居高そうな外観だけど、値段安いの、1000円くらいで定食が食べられて、めっちゃ美味しいんだ。実家から近いから、時々ご飯食べに来てた。わたしはいつもお刺身定食にしちゃうんだけど、他も美味しいと思う。フグの唐揚げもすごい美味しい。刺身定食以外の定食は食べたことないと思う。いつもこれ食べちゃう。おんなじの頼んじゃうみたいなこと、結構ある。
それでいうとさ、ハンバーガーが小さい頃食べれなかった。多分食わず嫌いだったのかわかんないけど、いつもハンバーガー食べれなくて、チキンナゲットしか食べたことなかった。今は食べれる。いつから食べれるようになったんだろう。

高校の時にミュージカルを作ったことがあって、文化祭で体育館の舞台でやったんだけど、クラスでやるとかじゃなくてやりたい人たちで集まってやったんだ。偶然ね、作曲出来る友達、その子は今も音楽をしているんだけど、作曲出来る子と、ミュージカル女優を目指していて、振付ができる子がいて。わたしが書いて、この曲はこういう感じで、とか、このミュージカルのこの曲のこの部分みたいにしたいとかってやりとりで、曲を作ってくれて、みたいな感じ。お話を書いて、やってたの。やりたい人たちが集まってると楽しかった。部活とかじゃなくて。で、出てくれる人を募集して、学年を跨いで集まって、たくさん人が関わってくれた。仕切ってくれる子がちゃんともう1人いて、その子が行動力ある子だったから。衣装作るチームとか、音楽もアレンジしてくれる子がもうひとりいたりして。
芸術系じゃないんだ、国際学科だった。でも芸術系の子も多かった。もともと英語出来て、それで海外でなんかしたいって人が多かったのかも。半分以上とか、それくらいが帰国子女と在日外国人の生徒で、残りが日本から出たことない人だった。ふふふ。いろんな国の人がいた。父が自営業で塾と、あと外国人の先生を雇って英会話教室やっていたから、学校終わるとその塾に行って、塾が終わるとその英語の先生に遊んでもらうみたいな感じだったから。英語、好きだったし、結構ずっと、小さい頃から日本から出たいと思ったいたかも。でも留学とかはさせてもらえなかったから、仕事始めてから撮影の研修とかで海外行ったり、自分でお金貯めてヨーロッパ行ったりとかしたのが、やっと海外行けた、って感じだった。叔母さんがスイスの人と結婚していたから、それも大きかったと思う。小さい時からその叔父さんと叔母さんが年に1、2回は日本に帰って来てたから毎年会ってて、なんか、ふたりの、自分の両親とは全然違うかんじとか、そういうのは感じていたと思う。あとなんか英語喋ってる時の方が気持ちがひらけている感じもする。

言葉とか、髪や肌の色とか、文化や考え方が違う人が集まっている中にいる方が、安心するというか、相手のこと、他人のことを、私はわからないって思っているから、そのわからないってことがはっきりわかっている方が、居心地がいいのかもしれない。

中学校がすごい厳しいところで、スカートも膝上とか膝下何㎝とかじゃなくて床上何㎝とかで、めっちゃ長かった。あと髪が肩についたら2つ結きで襟より伸びたら三つ編みとか。すいたりとかするのも禁止。軍隊みたいだった。わたし中学がほんとにきつくてさ、中3の1番最後の国語の時間に自由に作文書けみたいな、テーマが何だろう、「中学校の思い出」とかだったかな、忘れちゃったけど、そこにめっちゃこの学校の校則がいかにおかしいかっていうことを、すごい書いた記憶がある。

いろんなことに全然納得できなかったんだよね。小学校から受験勉強をずっとしていて、受験して、また次の学校行ったらまた受験のために勉強してみたいな、日本の教育制度もそうだし、先生や両親の考え方とか、学校の規則とか。

家族旅行とかも自分から行かなくなって、「勉強するからいい」みたいな。べつに勉強するわけではなくて、ただ家で本読んだり、1人の時間を過ごしていたんだけど。だからそこら辺から何年間か、家族写真にわたしが写っていないっていう、旅行の写真がいっぱいある。今見返すと。気づくとそういう感じで距離をとってたというか。弟妹が下に3人いるんだ。

久しぶりに食べる。いつぶりだろう、わかんない。いつも刺身定食頼むけど、特に食べる順番は決まってないな、、、ミスドのDポップの食べる順番はめっちゃ決めてた!いまでも時々Dポップのことって、意味もなくその見た目を思い浮かべたりするときあるけど、すごい、考えて大事にしてた気がする。規則性があるわけじゃないけど、どういう展開で、どういう気持ちになりたいかとか、どういう後味で終わりたいみたいなことはめっちゃ考えていたかも。あ、だから食事もそれはある。口の中の終わり方が、すっきり終わりたいとかさ、この好きな食べ物の味で終わりたい、とかあるよね。ミスドの、黄色のつぶつぶがついているやつがめっちゃ好きだったな。あのつぶつぶ、すごいぽろぽろ落ちるよね。懐かしいな。今は全然行かない。

さっき言った、ミュージカルも、その時の納得出来ないことをけっこう書き連ねたんだよね、、、。ちょっと恥ずかしくて内容は言えないけど、!ふふふ。

なんかその、納得できないみたいな感じを結構外に出さないと、悶々となるじゃん、引きこもるじゃないけど。小さい時はさ、もっと人に対してどうとか、まだ自意識があんまりないからさ、わたし結構気が強いというか、思っていること何でも言っちゃう、まあ今も仲良くなったらすごい何でも言うけど、、、だから小さい時はそれで友達を泣かせちゃったりとか結構してたと思うのね。バスケで、ボールでさ、ちょっと突き指しただけで、なんというか、かまってほしくて、という感じで泣き出す女の子とかに、「何で泣くの!?」みたいに言ってたと思う。他の子は大丈夫?とか慰めてるなか。そういう激しい感じが元々はあって。でもだんだんさ、学年が進んでいくとそれで喧嘩になったりとか、ある時期くらいまでは男子と殴り合いできたけど、勝てなくなったりとかさ、いじめられたりとかさ、あるじゃん。それで、あ、なんかそういうことじゃないんだ、みたいな。それくらいまではめっちゃ男子になりたい時期みたいなのがあってさ、負けず嫌いだったから、父も、女の子なのにあぐらかくなとか、弟には注意しないのに。弟達にはお皿下げろって言わないけどわたしには言ってきたりとか、そういうのもあって、男の子になりたい、みたいな時期があって。髪の毛めっちゃショートにしたりとか。でも多分、高学年になってそういうことじゃないんだな、って気づいてから、男子っぽくするとか、そういうのが消えたというか。だから格好とかも女の子っぽい格好が好きになったり、そのあとは髪もほとんど長かったし。だから、外に出していたのを中にしまったっていうか、それの、違う出し方を探しているっていう感じになった気がする。だから反抗的な作文を書いたりさ、、ふふふ、そういうことになったんだと思う。良くも悪くも、性格がすごく穏やかになったんだと思う、そこで。
でもそれにさ、その激しい感じに、戻りたい気持ちもいつもあって。いつも、いまいきなりこのコップの水を目の前の人にぶっかけたらどうなるかな、みたいなことを同時に考えてる。今、ほんとうはいろんなことに、怒りを感じたりしているし、それを表に出した方がいいんじゃないかな、と思ったりする。

高校から大学は楽しいこともあったけど気持ちが落ち込んでいて、人に会いたくなくて、行ってなかったこともいっぱいあった。部屋にこもったり、行ってきますって家を出るけど学校へ行かなかったりしていた。ずっとね、銀座線を浅草から渋谷まで行ったり来たりしていた。終点まで行っちゃうと乗り換えなきゃいけないから、反対側のホームに行ける駅で降りてまた、グルグルするっていう。後は渋谷駅で降りて代々木公園を歩いたりとか、そういうことをしていたかな。あと、本が読めなくなったり、同じ映画のDVDを何度も借りてきてしまったりとか、記憶力がなくなった。

怖いなって思うのは、そういうけっこうきつい状態になっていたけど、同じ家にいる家族ですら、わたしがそうだってことをほとんど全く知らないというか、後からきいたら、そうだったんだけど。でも多分そういうことっていっぱいあるんだろうなと思って。わたしもきっと、気づけないし、わからないと思う。
そんな風だった、って話しても、何が、どんな言葉が、どれだけ嫌だったか、ってこと、他の人にはわからない。そうなんだ、とはなるけど、ほんとうには理解できない。わたしは、言われたことって全然消えてくれない。
家族も他人なんだって、頭ではわかっていたけど、本当にそれをわかるまでに、少し時間がかかって、それが苦しかったかな。

見たいものを見れないから、その為にしていた工夫、みたいなのは今考えると面白いなと思うこともいっぱいあってさ。子どもの頃から映画とか演劇とか好きだったけど全然見に行けなかったから。図書館に結構ミュージカルのCDがあるのね。ミュージカルって映画とかと違ってさ、セリフが全部曲じゃない?だからCDを通して聞くと、演劇全部、完結するんだよね。ストーリー、登場人物、背景が大体わかれば。それでそのCDと歌詞カードとネットで舞台の写真とかを見て、自分の頭の中で組み立てていた。そういう想像をして、観劇をしていた。きっかけは母親かな。母が大学で英語劇をやってたんだよね。日本人なんだけど英語で演劇をするっていうことだと思うんだけど。で、小学校上がる前くらいにミュージカル映画のビデオを見せてもらったのね。でも英語だからさ、日本語字幕で、小さいからまだ字幕も読めないじゃん。その字幕を全部音読してくれて、見た、っていう記憶がある。そのこと、すごい覚えている。

あの散歩中の犬、すごい大きい!プードルだ。大きい犬は好きなんだけど細くて長い犬がちょっと怖い。だから大きいプードルは怖いな。細くて長い手足。ふさふさの犬は好きなんだけど、、、大きい犬は好きなんだけど細くて長い犬がちょっと怖い。細くて長い手足。ペット飼ってた?ハムスター流行ってた時期なかった?みんなハムスター飼ってたよね。でもさ、わたしうまく可愛がれないってことに気づいたんだよね。ペット。わたしめちゃくちゃ動物好きだけどやっぱり、あんまり可愛がれなかった。心の中ではめっちゃ可愛がってるんだけど。「かわいいかわいい」ってできなかった。あんまり可愛がると死ぬ時が怖い。想像して、あんまり可愛がれなかった。全般そうなのかも。友達とか人に対してもめっちゃ好きだけど、あんまりなんか、そういう感じが出せない。好きって表現ができない。

ここは昔からある地下街で、もしかしたら匂い結構、、大丈夫?変なお店がいっぱいあるの。ここのベトナム料理屋さん、美味しいよ。小さい時、ここめっちゃ息止めて、通ってた。

ピクニック用のお塩。スイスの叔父さんと叔母さんが日本に来る時に絶対買ってきてくれる、ハーブのお塩があって。
わたしがスイスに行く時に母に、それをお土産に買ってきてって言われて、で、スーパーに行っておんなじの見つけて買おうとしたら、隣にそれのミニチュアが3つ入ってるやつがあって。わたしミニチュアがすごい好きなの。ドールハウスのミニチュアも好きだし、陶器で出来てる食器とか、そういうの集めてたり。お醤油もこういう小さいやつあるじゃん、そういうやつがすっごい好きで、だからすごいテンションが上がって買った。でもね、他のスーパー行ったらそういうサイズのいろんな塩があるの。叔母さんによると「みんな結構スーパーで買ったものを外で食べたりするから『ピクニック用の塩』」なんだって。
海外の人ってさ、外でご飯食べるよね。歩きながらとか、電車の中でヨーグルト食べてる人もいたよ。なんで日本って電車で食べるのダメなんだろうね。わたし外で食べもの食べるの好きなんだよね。歩きながらとか、電車もすごい空いてたら食べたいなって思っちゃう。移動しながら食べるのが、好きなんだよね。

 

23:00/浅草駅で解散。

今回でひび全員とひとりひとり会うのも終わり。全員で26人。そういえば1番最初の解散場所は浅草で、その時もたしか夜で、足の長いプードルとすれ違ったのだった。あのプードルと今日すれ違ったプードルは同じプードルかもしれない。まりすと解散してすぐ、まりすから「私も同じ電車乗るんだったのに、なぜか見送ってしまった」とLINEが来る。私と別れて駅の外を歩いている時に気づいたらしい、たくさん思い出して、たくさん話して、エネルギー切れだったかもしれない。

最初のインタビュー以来のスカイツリーを眺めながら、帰った。